
2025/04/24
「ジョンの魂」~ジョン・レノンが残したもの~(blog No.17)
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2024/12/09
(A)リバティ
今日はオヤカタの想い(Wishes)だったよね。
(B)オヤカタ
そうだね。英国駐在時代の僕の想い(Wishes)を話したいと思います。
ビジネスの話だけど、いいかな?
(A)リバティ
ビジネスには興味あるよ。
EAPサービスのお客さまは、みな働いている人たちだし・・・
(B)オヤカタ
OK。では、C社ってどんな関係会社なのか話します。
C社は、英国小売店向けにブルゾンなどの紳士物カジュアル・ウエアをアジアで生産し、輸入販売する繊維会社です。
元は、1897年にマンチェスターに設立されたスーツ・コートの縫製工場でした。
時代の変遷とともに英国内製造はコスト高・マーケットの変化などから儲からなくなり、工場を閉鎖していきました。
1960年代後半からは海外生産にシフトし始めました。
(A)リバティ
オヤカタがまだ社会人になる前の話だね。
(B)オヤカタ
そんな時期にMITSUIが、日本製の紳士スーツを輸入・販売しないかと話をもちかけました。
いろいろ協議した結果、1974年10月に英国W社、日本MITSUIが50%ずつ出資し、合弁会社C社をリーズに設立したのです。
はじめは、かなり儲かっていたそうです。
しかし、事業内容は変わっていきました。
日本製スーツはコストが合わなくなり、韓国生産にシフト。
需要減の紳士スーツに代わり、カジュアル・ウエアに、販売先も扱い商品・生産地も変わっていきました。
(A)リバティ
肝心の経営は誰がしていたの?
(B)オヤカタ
いい質問だね。
元々の工場オーナーに経営を任されていた幹部社員のBryan(合弁スタート時、38歳)と営業責任者Derek(同、30歳)がC社の経営を担いました。
(A)リバティ
じゃ、MITSUIは何するの?
(B)オヤカタ
またいい質問だね。
MITSUIは、アジア生産・輸入貿易とファイナンスを受けもちました。
スタートしてからの12年間は、MITSUI(繊維部門)から常駐Director(日本人)を送っていました。
MITSUIのDirectorはBryan、Derekよりずっと年上で、彼らの良きアドバイザーでした。
MITSUIのサポートを受け、C社の経営はうまくいっていたそうです。
しかし、良いことは長く続きません。会社も生き物です。
衣料品ビジネスは競争が激しく、マーケットの変化は速いです。
理由は省きますが、10年過ぎたあたりからC社の経営はうまくいかなくなっていきました。
黒字のあと大きな赤字が続き、1勝3敗、1分って感じでした。
(A)リバティ
オヤカタがロンドン店に行ったときは、赤字体質だったんだね。
(B)オヤカタ
赴任した1994年、C社は設立20周年を迎えましたが、お祝いどころではありません。
数年前にMITSUIが多額の資金援助をしたのですが、業績はよくなりません。
Bryanたちは新規客先の拡大や婦人服・ライセンス商品など商品の多角化を行ないましたが、みな失敗でした。
MITSUI上層部はBryanの経営手腕に不信感を強めていきました。
(A)リバティ
え~、英国行き、断ったほうがいいんじゃにゃい。
(B)オヤカタ
僕のロンドン転勤が決まったとき、本店の総括部長、Nさんに言われていたことを今でも覚えています。
「ムラタ君、わかってるね。君のミッションは、C社をつぶすことだからね。Bryanはドン・キホーテだ」
です。
僕は「一度も会ったことのないので、行ってから考えてご相談します」と答えました。
(A)リバティ
「ロンドン転勤、ガンバレ!」じゃにゃいんだ…。
(B)オヤカタ
ただし、この案件には、ちょっと光らしきものがありました。落とし穴かもしれませんが。
ロンドン店のリュウ君が「赴任前に事前説明したいことがあるので・・・」と沢山の書類をもって日本に出張してきました。
それは、BryanがMITSUI UK社長のチャーリーさんに
“同業社の事業部を買収したい。この買収を実現すれば、絶対に業績はよくなる。ぜひ、承諾してほしい”
という申し入れでした。
形勢逆転を狙っての懇願だったと思います。
Bryanの経営手腕に強い不信を感じていたチャーリー社長は大いに迷いました。
(A)リバティ
チャーリーさんって英国人?
(B)オヤカタ
いやいや、日本人。ニックネームです。
チャーリー社長はリュウ君に「今度GMになるヤツ(ムラタ君だっけ?)に見させて、彼がどう思うか聞いたうえで判断しよう」と伝えました。
それで、リュウ君が東京に飛んできたのでした。
(A)リバティ
それで、英国に出張したんだ。はじめての英国上陸だね。
(B)オヤカタ
Bryanをドン・キホーテって呼んでいたN部長からすぐに行けって言われました。
英国側の準備ができ次第、出張に出ました。
この出張は、商社マン人生29年の中で、「目的地に着くまでもっとも時間のかかった出張」としても忘れられません。続きは次回BLOGで話します。いいかな?
(A)リバティ
うん、聞きたいです。
(B)オヤカタ
OK!
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