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2024/04/25

フロイト、ロンドンへ(mini column(3))

<mini column3>
【フロイト、ロンドンへ】

ユダヤ人であるジークムント・フロイトは1938年にナチスの迫害から逃れるため、
79年間暮らしたウイーンを離れ、ロンドンへ亡命しました。
1933年から迫害が激しくなり、ドイツではフロイトの本は禁書になり、
精神分析の概念も封じられました。
多くのユダヤ系精神分析家が亡命する中、フロイトはウイーンを離れることを拒み続けました。
しかし、1938年、フロイトが82歳のとき、家族や弟子たちの必死の説得を受け、
やっと亡命を決意しました。

1938年6月3日早朝、娘アンナとともにオリエント急行に乗り、5日朝ロンドンに辿り着きます。
フロイトは英国で歓迎されましたが、残念ながら約1年後にロンドンで亡くなります。
彼はもともと2つの病気に苛まれていました。上顎癌と心臓疾患です。
上顎癌は何度も手術をしましたが、良くならず悪化していきました。
弟子の一人でもあるアンナは父に付き添い、看病を続けました。
しかし、フロイトは「これ以上の苦しみに意味はない」とアンナと主治医に訴え、安楽死を認めさせました。
1939年9月23日早朝、定量を超すモルヒネ注射により、息を引き取ります。
なお、フロイトは亡くなる半年前まで、アンナのサポートを受け、
毎日4人の患者の精神分析治療を行い、執筆活動も続けました。


(オリエント急行でウィーンからロンドンへ亡命)

 

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